試合について

2014年10月 7日 (火)

2014全国教員大会

ご報告が遅くなりました。
台風の直撃を受け、暴風雨が吹き荒れる8/3(日)に
和歌山県ビックホエールに置いて開催された
全国教員大会に出場してきました。

昨年同様、今回も先鋒(73kg級)としての出場です。
今回の東京メンバーは以下のように構成されました。

先:小室
次:山田(中大杉並)
中:小嶋(日体大)
副:山口(正則高校)
大:佐藤(高輪中高)

若い山口先生と、大御所・小嶋新太先生という大砲を迎え入れ、
万全の体制で試合に臨みました。

1回戦:福岡県
初戦は福岡県・小倉大輝選手との対戦。
筑波大学大学院の後輩で、協力隊研修の教え子であり、同業の友人です。
お互いの想いを書くと長くなるので、今回は戦況のみにします。
小倉君は充分すぎるほど私の技を知っています。

だからというわけではありませんが、初戦なのでじっくりいくことにしました。
小倉君は徹底して脇を差す変則の組み手、これは意表を突かれました。
序盤、巴投を軽く受けてしまい有効を奪われます。
ここ数年、実業団、高段者大会、教員大会を通じて、6年ぶりくらいに投げられました。

しかし慌てず、じっくり圧力を掛けていきます。
立ったところからの腕挫腕固はしっかり警戒されていました。
次は隅返!腕が抜けてしまいましたが強引に身体を捨ててしまいます。
腕が残ったところを袖車式に肩を極めて裏返し、袈裟固に移行します。
袈裟固はあまり得意ではなく、テッポウ返しをされそうだったので、
フルパワーで圧し一本勝ち。
今年から抑え込みの時間が25秒から20秒への短縮されました。
これは大きな変更だと思います。

こうして後輩で教え子で友人・小倉君との対決は終わりました。
近い将来、僕が衰えて追い越される日が来るでしょう。
その日が少しでも先延ばしになるよう「越えられそうで越えられない小さい壁」として立ちはだかろうと思います。
願わくば来年は「つくばユナイテッド」の一員として共に戦いましょう!

チームは3-1で快勝しました。

2回戦:青森県
2回戦は青森県の能登谷選手との対戦、左組みの相四つです。
組み負けたままでいると指導をもらってしまうので、

1回戦とは変わって先に仕掛けるよう心がけました。
巴投、袖釣込腰、一本背負投から寝技に移行し、引き込みからの横返しと十字固、
袖車絞など攻め続けますが相手の警戒も十分でなかなか攻めさせてくれません。

仕方なく「わざと抑えさせたまま絞める攻撃」に出ます。
これを知ってる大将・佐藤君が大きな声で聞こえるようにカウントをしてくれました。
しかし10秒を過ぎたところで手応えなく、抑え込みから逃げることにします。
ここで有効を奪われます。

残り時間1分30秒、ここで攻め方を変えます。
袖を絞り合ったところから片襟の大外刈を放ちます。押し込んで有効!
普段、あまり投げることのない技なので、抑え込みへの移行に戸惑います。
「抑え込み」のコールを聞いた後、足で相手の腕を押さえつけ(ここ重要!)
横四方固に移行、そのまま一本となりました。
先鋒が景気よく一本を取れたので、チームも5-0の快勝で準々決勝へと続きました。



準々決勝は兵庫県との対戦、相手は山本選手。
この試合、思い返すと私は少し消極的だったと思います。
「がっちり組み合ったら負ける」という意識から組み合う前に技を掛け、
結果的にそれが不十分な仕掛けになってしまい「掛け逃げ」の指導を
3回も取られてしまいました。

普段から組んで稽古をしているし、何より初戦で投げられはしましたが、
ここ数年は投げられることも負けることもなかったんだから、
もっと自信を持って組めば良かったです。
当然、山本選手にはそれだけの技のキレ、圧力があったのは確かですが。

結果的に自滅するような形で「指導3」で敗退、
チームも1-2で負けてしまいました。
昨年同様、「先鋒が勝って後ろに繋ぐ」という必勝パターンを崩してしまったことが敗因です。
チームに迷惑を掛けてしまいました。

必ず優勝する!と意気込んで臨んだ今回の教員大会はベスト8という結果でした。
結果には満足していませんが、妥協することなくしっかりと取り組むことはできました。
これで最後にするつもりでしたが、まだ燃え尽きていません。
また来年、声が掛かっても日本一を狙えるチームの一員として応えられるよう、
稽古を続けようと思います。


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2014年7月 6日 (日)

つくばユナイテッド・全日本実業団への挑戦

全日本実業団にはこれまで、足立学園の同級生と挑戦してきましたが、
体力の限界もあり、前回で引退となりました。

私ももうこの大会での出番はないとのんびり過ごしていたところ、
母校・筑波大学の後輩から緊急スクランブルがかかりました。

「つくばユナイテッドが2部昇格したので、3部チームの一員として出て欲しい」

昨年、大学院生とOBで結成したつくばユナイテッドは上位入賞していました。
トップのメンバーは2部に出場するため、今回は軽量級を中心とした3部でも
出場したい、そのメンバーの1人として出場要請があったのです。

再び筑波大学の桐の葉マークの道衣が着られる。
ただそれだけで、出場を決意しました。
しかしまさか、自分が「大将」とは思いもしませんでした。いつもは先鋒か次鋒でしたから。
そして大将というポジションが、最後に重大な場面で担うことになるのです。

全日本実業団(3部)1回戦・新日鉄君津
4-0と圧倒して回ってきた大将戦、しかし相手は182cm、115kg!
いつも以上に肩の力を抜き、反応に身体を任せました。
に何回か一瞬のひらめきで投げることがあります。
透かした瞬間、そんなひらめきを感じました。
内股透かし一閃で一本勝ち!
チームは5-0の大勝でで2回戦へ。



全日本実業団(3部)2回戦・満洋丸柔道クラブ

2-1のリードで迎えた大将戦、序盤から巴十字を狙うも僅かに外れる
当然のことながら寝技に対する警戒は最高レベル
いつもは立ち勝負を意識し巴十字は温存するが、
この日は自然と身体が動くのでそれに任せる
相手の掛け潰れに合わせて横返し、コムロック、縦四方、返されながらコムロックからの腕挫腋固で極める
初戦から力みなく、練習通りの動きを試合で発揮できました。
チームは3-1で快勝!3回戦へと進みました。


全日本実業団(3部)3回戦・東海翔柔クラブ
2-2の同スコアで迎えた大将戦、引き分けて代表戦になれば分が悪く、
この一戦で決めたいというプレッシャーのかかるシチュエーションは
おそらく柔道人生で初でした。

序盤、巴投で崩すもノースコア。
途中、組み手の反則を犯してしまうが審判は見逃してくれます。

その後、大内刈で相手を崩し、亀になったところで送襟絞を狙います。
(以前はすぐに「待て」となったこの展開、最近はじっくり見てくれます)

脚を肩に掛け、相手の腕が力なくダラリと下がったところで無情の「待て」
落ちたのか?半落ちなのか?場内外は騒然とします。
諏訪審判長も介入し、助言を与えますが試合は続行。

その後、再び巴投で大きく崩すもノースコア。
いくつもの機会を全て逃し、この試合は「引き分け」
息の上がった私は代表戦を丁重にお断りし、
次鋒で一本勝ちしていた石川君に委ねました。
しかしここは豪快に一本負け、チームはベスト16という結果に終わりました。


野球で言えば最終回ツーアウト満塁で迎えた打席、
満塁ホームランで決着を付けたかっただけに悔いの残る引き分けでした。

それでも笑顔で迎えてくれたのはやはり、同窓チーム故でしょうか。
試合中、会場にいた筑波大学のOB、OGが沢山の応援をしてくれました。
卒業して10年以上が経ち、母校とは少し距離感が生まれていた時期でしたが
再び桐の葉マークの胴着をまとい、楽しく柔道をすることが出来ました。
一緒に参加してくれた選手の皆さん、また戦った選手の皆さん、大変お疲れ様でした。
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2013年9月 4日 (水)

2013全国教員大会出場報告

2013年8月3日、講道館大道場で開催された全国教員柔道大会の出場報告をします。

教員柔道家の甲子園「教員大会」
この大会には1度だけ出場しましたが、その後、縁が無く年をとり・・・
36歳となった今、私の出番はないと諦めていました。

ところが6月、スクランブルが掛かります。
足立学園の先輩・高澤先生(専大付属)からの出場依頼でした。

東京チームは2年前、3年前と優勝していました。
その時、優勝に貢献したのが篠崎悠先生です。
彼が異動となり、それを補うべく招集が掛かったのです。
私に彼の代役が務まるのか、体重が落ちるのか、
一晩悩んだ末、「必ず優勝する」という決意を持ってこの依頼を受けることにしました。

教員大会は都道府県対抗による5人制の団体戦です。
その配列は独特で体重制限や年齢制限が有り、副将・大将は無差別となります。

先鋒(73kg級)   小室宏二(都市大付)
次鋒(90kg級)   野瀬光洋(昭和第一)
中堅(32歳以上) 小野田明史(大成高校)
副将(無差別)     山田恒平(中大杉並)
大将(無差別)    佐藤陽介(高輪高校)

その時、私は情けないことに78kgもあり、即日減量に取りかかりました。
稽古量は時間の制約もあり、それほど増やすこともできず、
とにかく早朝、走りまくりました。雨の日も、休みの日も走りに走りました。
その甲斐あって、減量は順調に進みました。
計量当日までしっかり3食摂り、水分制限をすることもなく計量をパスすることができました。
結果的には71kgまで絞ることができました。
落としすぎかなとも思いましたが、もともとは66kg級の私です、
むしろそれくらいの方が動きやすいと思いました。

今回、まず充実していたのは試合に向けた2ヶ月間、一切の妥協も許さなかったことです。
もっと練習すれば良かった、もっと計画的に減量すべきだった、そんな後悔は
一切ありませんでした。
弱い自分を一切見せることなく、強い気持ちで試合まで臨めたことは
自分にとって大きな収穫でした。

さて試合です。
初戦は長野県でした。
講道館杯優勝の石川選手を要する長野県は、一切の油断を許さない強豪でした。

しかし「どんな相手でも先鋒の私が寝技で一本を取ってくる、だから後は頼む!」
と宣言したとおり、送襟絞で一本を奪うと、後続も凌ぐところ、取るところの
役割をしっかり果たし3-1で勝利を収めました。

2回戦は岩手県。
この試合も警戒されながらも中盤に「袖車絞と肩固の複合技」で仕留めました。
結果的には肩固ですが、左手は右袖を握っています。
袖車絞の圧力があるので、相手は思いきって逃げることができません。
こちらも後続が続いて4-1と快勝しました。

準々決勝は筑波大の同級生・平井くん要する長崎県との対戦。
私の相手は22歳の新卒教員、現役バリバリで国体でも成年男子の代表選手とのこと。
組んだ瞬間に、圧力の差を感じます。
その差を埋めるべく、最近、ほとんど仕掛けることもなかった変形肩車で潜り込みます。
これを何とか決めて【技あり】を奪取、あとは情けないくらい逃げ回り、
なんとか優勢勝ちで後続に繋げました。
中堅戦で平井君に一本負けを喫し、1-1の内容差で負けていた東京チームは
大将・佐藤君の一本勝ちで逆転勝利(2-1)を収め、準決勝戦へコマを進めました。

暑さと疲労で満身創痍の中、準決勝戦で三重県の挑みます。
この試合で私は完全に組み負けてしまい、主導権を握られてしまいます。
序盤に寝技のチャンスが2度ありましたが、体力を温存し、最後まで追い込みませんでした。
その後、チャンスらしいチャンスを作れず、逆に組み負けて何度も潰されてしまいます。
終盤には巴投で宙に浮いてしまい、手を着いて必死で凌いだときに左手を負傷してしまいます。
さらには「指導1」を受けてしまい、一本を取るどころか防戦一方のまま、引き分けに留めるのが精一杯でした。

先鋒で勝って後続に繋ぐという必勝パターンを崩してしまった東京、
逆に三重はポイントゲッターがきっちり勝利を収め、結果的に2-2の内容差で
東京は敗戦となりました。

あのとき、なぜ冷静になって組み手のパターンを変えることができなかったのか、
なぜ寝技のチャンスにもっと攻めきることができなかったのか、悔やみきれません。
結果的に【先鋒として一本勝ちして後続に繋ぐ】ことができなかった私が東京チームの戦犯です。

こっそり、この教員大会と全日本形を制し、乱取りと形のダブル日本一だ!
と意気込んでいたのですが、最初から転けてしまいました。

それでも足立の後輩・山田先生、大学院の後輩・佐藤先生、同級生の小野田君、
講師時代に国士舘の選手だった野瀬先生、そして池内監督と非常にバランスの良い
チームで戦えたのは良い経験となりました。
また大会前日、大会当日と菩提樹で2日連続でとんかつを食べられたのは
人生初の貴重な経験でした。

来年37歳になる私には、出場要請は来ないかもしれません、
それでも「出るぞ!」と言われたときに二つ返事で即答できる準備だけはしておきたいと思います。
叶うならもう一度挑戦し、今度こそ日本一を奪還したいです。

最後に、合宿終わりで疲れている中、朝からずっと付き人としてサポートしてくれた
杉本君、それに応援に来てくれたすべての人に感謝します。
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全柔連HPによる公式記録

2005年教員大会の巴投

 

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2013年7月10日 (水)

2013全日本実業団(岡山)ハリの死闘と腕挫腕固

6/15(土)、吉田秀彦さんの柔道復帰戦で話題になった全日本実業団に
今年も足立学園の同級生チームで挑みました。

ただ今回、宴会大将の伊藤が国外逃亡(海外出張)という逃げの姿勢で欠場、
4人での出場は認められないことからもと73kg級だった荒木君(中央大学OB)くん
が香川県に在職中ということで、急遽、助っ人として参戦してもらいました。

チーム構成は以下の通りです。

先鋒:小室(都市大学付属中高教諭)
次鋒:田崎(道都大学監督、「平成の指導王」)
中堅:高橋(千葉刑務所「平成の掛け逃げ王」)
副将:針谷(上州屋接骨院院長)
大将:荒木(会社員、中央大OB、チーム唯一の20歳代)
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各自、金曜日の仕事が終わってから飛行機で岡山のホテルに集合し、
翌朝の試合に臨みました。

会場では「小室先生どうしたんですか?」という声を何度も聞かれました。
「同級生とチームを組んで試合に出る」と言うと、みんな一様に驚いていました。
確かにみんな今年で36歳、こんなチーム他にはないでしょうね。
ちなみに今回で全日本は3回目、東日本と合わせると6回目の挑戦になります。
(過去の記事:2009東日本実業団2010東日本実業団2010全日本実業団

さて開会式直後に行われた1回戦、三菱レイヨンとの対戦です。
会場には指導する淑徳大学のOGや、足立学園&筑波大学の後輩も見ていたので
醜態をさらすわけにはいきません。そういった意味ではリスクがあります。
しかし、今となってはその緊張感が楽しみだったりします。

とにかく肩の力を抜くことを意識した初戦、一度「待て」を聞いてから仕掛けようと思っていましたが、相手は右組の喧嘩四つだったので、立ったまま腕挫腕固を仕掛けます。
寝技、または内股を警戒して腰を引いてくれる相手にはとてもよく極まる技です。
持ち上げて逃げられそうだったので、足で手をコントロールして極めました。

幸先良いスタートを切れたからか、続く次鋒・田崎、中堅・高橋と連続して一本勝ちを収め、早々にチームの勝利を決定づけました。
これは20年前、まだ体重別が4階級しかなかった中学時代、東京、関東、全国は揃って準決勝敗退(3位)だった足立3中トリオを彷彿とさせる展開でした。

さてチームの勝利が決まったあとでの副将・針谷は体力を温存しておけば良いものを
ガチンコの接近戦対決で消耗の末、終了間際の一本負け、さらには試合後に
熱中症でゲロを吐くという体たらくでした。

その辺は空気を読んだ大将・荒木君、無理をせず引き分けチーム3-1の引き分けとしました。

2回戦は甲府刑務所との対戦です。
先鋒戦、私の相手を見ると山梨学院大学OBの20代、90kg級とのこと。
いつものことではありますが、寝技を厳重に警戒されてしまい、なかなか攻め込めません。
逆にそのおかげで相手に指導が2回与えられます。
結局は寝技で仕留めきれず、それが決勝点となり優勢勝ち、
しかしそれが後々、後悔することになってしまいました。

それは直後の次鋒・田崎の試合でおこります。
チーム結成来、私と田崎は引き分けてしまうことはあっても、負けることはありませんでした。
それがチームのポイゲとしては最低条件だからです。
しかし今回は、相手の見事な抱きつき小外で宙を舞ってしまい一本負け。

続く中堅・高橋も優勢負け、チームは1-2の劣勢です。
本来であれば、先行逃げ切りのチームですから、この状況は苦しいと言わざるを得ません。
まして副将・針谷はさっきまでゲロを吐いて寝ていたような男です。
しかし針谷は頑張りました。さすが自身の接骨院を背負って生きている男、気合いが違います。
「左に組むけど実は右技が得意」の彼は、意表を突いた右技で先制の技あり、
その後も攻め続けて最後は一本勝ちを収めます。

内容では負けていますが、なんとか大将・荒木君まで繋げます。
しかし73kg級の荒木君に対し、重量級の相手は引き分ければチームが勝利です。
なかなか組まない、組んでも冒険しない盤石な試合展開でがっちり引き分けられてしまいました。

これで結局、チームは2-2の内容で負けてしまいました。
惜しむらくは私が一本勝ちしていれば、逆に2-2の内容勝ちだっただけに、
ポリシーを捨てて優勢勝ち(指導2)に甘んじてしまった自分を恥じるほかありません。

こうして、今回の足立学園同級生36歳チームの挑戦は、
昨年と同じく2回戦敗退という結果に終わりました。

大会申し込み時点で「今回で最後にしよう」という話だったので、

私たち挑戦はこれで終わりとなります。

自分で言うのも何ですが、良いチームだったと思いますし、頑張ったと思います。
応援してくれたOBや教え子の皆さん、ご声援ありがとうございました!

<過去の主な成績>
2009東日本実業団(3部)3位
2010東日本実業団(3部)3位 全日本実業団(3部)4回戦進出

ちなみに来年は、静岡県での開催だそうです。
ウナギや温泉など、楽しめそうな場所ですね。車1台でも行けそうです・・・

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2013年4月28日 (日)

敢えて回されて地獄絞(2013全国高段者大会)

昨年出場できなかったので、2年ぶりとなる全国高段者大会でした。
対戦相手は同世代(私の1歳上)なら知らない人はいない強豪選手でした。
実際、10年前に茨城県代表として出場した三笠艦大会では投げられて負けています。

なので朝からしっかり柔軟をやり、調整相手(杉本君)も用意し、周りがちょっと呆れるくらいアップをしました

試合は組み手争いから肩車で潜り込み、背後に回り込んで袖車絞を狙いますが不発、
すかさず送襟絞を狙います。
こでセオリーから外れますが、腋下に手を入れ、敢えて回されます。
理由は以下の通りです。

1.相手は仰向けになり、ブリッジ状態なので顎が空きやすい
2.例え抑え込まれたとしても29秒間、「待て」にならずに寝技をやれる
3.絞め技に意識がいきやすいが、足で関節を極めることが出来る

 
久しぶりの試合でしたが、力みすぎず、自分らしい試合が出来ました。
またこの試合に向けて1ヶ月前から追い込んだ稽古をしてきました。
都市大学付属に来て相手をしてくれた林君、杉本君、山口君ありがとうございました!

最後に、寝技では珍しく技術優秀賞を戴けたようです♪

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2013年3月28日 (木)

試合動画2点

袖釣込腰


巴十字

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2012年12月19日 (水)

競技の違いを生かす

今年2回、佐賀県の基山で行われたブラジリアン柔術(以下、柔術)の大会に参加してきました。
その動画をアップいたします。対戦相手と結果は以下の通りです。

5 月:塚田市太郎選手(一本勝ち:腕挫十字固)
12月:江端講平選手(一本勝ち:腕挫十字固)

※いずれもアダルト黒帯無差別級で行われました

この2試合は関連しているところもあり、まとめて掲載させて頂きました。
まず柔道と柔術の違いを大まかに書いてみます。

  • 投技や「抑え込み」だけでは一本勝ちにならない、絞技か関節技が極まるまで行う
  • 寝姿勢への引き込みが認められている
  • 柔術は試合時間が柔道の倍で10分、「待て」の制限も少ない

これに対して私の長所は「寝際の移行が早い」「極めが強い」という点でしょうか。
極めが強いというよりは、最初からポイント勝ちをする気が無い、もっと言えば
ポイントの失点も気にしていない「勝つなら一本、取れなきゃ負け」というスタイルなので、
当然かもしれません。

逆に、柔道ではあまりない柔術特有の足捌き(ガードワーク)の対処は得意としていません。
柔道では時間がかかれば即「待て」なので、そういった場面が少ないのです。
また時間が長引けば老化に伴う体力の低下と相まって、グダグダになることは必至です。

そしてもう一つ私が心がけていること、それは「柔術の試合で柔道をやる」という点です。
もちろんルールは柔術、でも自分のスタイルは一切崩さないという意味です。

これは柔道の経験によるモノなのですが、外国人選手でも日本的なオーソドックス柔道をする選手がいます。
彼らは目を見張るような素晴らしい一本を取る一方で、日本人選手には軽く一蹴されることがあります。
それは日本的な柔道スタイルは、日本人が一番合っているからだと思います。
逆に、柔道はうまくないけどレスリングやサンボ、チタオバなどの他競技選手が、
いちいちルールも気にせず自分たちのスタイルを貫いてきたときのやりにくさと言ったら
尋常ではありませんでした。
だからこそ私は、柔術の試合では柔道をするように心がけているのです。

そしてこの2試合のポイントは前述の通り「移行の早さ」です。
とかく柔術では「待て」の場面も少なく、時間も十分にあることから
じっくりと時間をかけて体勢を作り、着実にサブミッションを狙います。
柔術家にとってはそれが当たり前だと思います。
だからこそ逆をやりました。セオリーにない動きは反応が難しいですから。

相手の足を超えた瞬間、または投げた瞬間、間髪入れず腕挫十字固を極めました。
若干雑ではありますが、スピードが最重要です。
その点はとっさの判断ではなく、いつも言うように「打ち込み(反復)」の成果です。
打ち込みで練り上げることによって、技は正確性と早さが身につくのだと思います。

下段の動画(江端選手との試合)では、足車のつもりで掛けています。
大外刈のように力強く刈ってしまうと、体勢が崩れてしまうので
下がり際に合わせて足をあてるだけに留めています。
どちらにせよ、現役時代、柔道の試合では一切できなかった技術です。。。

指導者視点でいえば、立技を得意とする選手ほど「投げた後に膝で制する」動作
しっかり行ってほしいという点です。これさえやれば、投げきる動作にも繋がり、
固技へも移行しやすくなります。昔の「浮固」とはこの動作だったそうです。


補足になりますが、この試合は無差別級で行われました。
最近だらしなく太っている私に対し、彼らとは見た目以上に体重差がありました。
またそんな中、非常に高度な技術で翻弄され、私としてはとっさのワンチャンスをモノにしたというような試合でした。
きっと彼らのようなアスリートが、日本の柔術界を背負い、日本の柔術を世界基準に
押し上げていくのだと思います。

最後に、大会開催にあたり運営や審判で奔走して頂いた井手さんはじめ、パラエストラなかがわの皆さん、主催したエジソンさん、生田さんに厚く御礼申し上げます。

これでようやく、のんびり年が越せそうです。

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2012年9月23日 (日)

名古屋大学vsブラジリアン柔術家 七帝ルール対抗戦

本日、名古屋大学において、名古屋大学対ブラジリアン柔術家による七帝ルール
対抗戦(20人戦)に出場してきました。
私は訳あって、柔術家チームの10番手として出場しました。

もともと私は「高専柔道の技術を礎にしている」と言いながら、その試合自体を
経験したことがありません。
特殊な環境でのみ行われる試合とはいえ、果たしてそれはどうなのか?というモ
ヤモヤが自分の中にはありました。そしてこの得がたい機会を与えてもらいました。

講道館柔道ほど立技勝負ばかりでなく、
ブラジリアン柔術ほど寝勝負ばかりでもない。
意外に「待て」の適用が多く、いままで経験したことのない
空間の攻防をしました。

そして改めて「分けで良し」とする相手から一本を奪うことの難しさを感じました。
今回はむしろ立ち勝負に勝機を見いだしたかったのですが、なかなか間合いを詰
めることが出来ませんでした。

結果は一人目で「引き分け」でした。
「抜き役」としての任務を果たせませんでした。
そしてチームも大差で負けてしまいました。

今回、企画に尽力して頂いた杉江大輔選手と、柔術家チームの皆さんには
大変お世話になりました。貴重な経験をありがとうございます。
そして来年は勝ちましょう!(果たして次回はあるのか!?)

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2011年11月28日 (月)

ブラジリアン柔術 DUMAU JAPAN OPEN

もう何年も前の話です。
「どこかで稽古できるところはないか?」という相談を受けました。
費用がかからず、比較的に通いやすい所、というような希望だったので、
講道館の案内と共に「柔道ではないけど」という注釈もつけて
パラエストラ東京の昼柔術を紹介しました。

以来、どっぷりブラジリアン柔術にはまってしまい、今では柔術黒帯、
「RJJ」という私が格闘技に参戦する際、使用していたチーム名も引き継ぎ、
さらには「コムロックと袖車絞で有名な・・・」という形容詞まで身につけたのが、
足立学園の同級生である岡本裕士です。

そんな彼が私に挑戦してきました。
「まだまだ10年早いよ」と思っていましたが、むしろバッチリ思い知らせてやる良い機会だと思い、
挑戦を受けることにしました。(軽い気持ちで・・・・)

黒帯は参加費無料という言葉につられ、
アダルト黒帯アブソリュート級にエントリーしました。
要するに一番レベルの高い体重無差別の階級です。

柔術の練習は月に1回、出来るか出来ないかです。
年間12回には到達できないので、2~3ヶ月間に1回程度の頻度でしょうか。
柔道の乱取り稽古は、千代田区体育館で週1回、淑徳大学で少しといった程度、
それでも貯金で充分勝てるだろうと思っていました。

しかし、試合はそんなに甘くはありませんでした。

<1回戦・岡本戦>
岡本と対戦した1回戦、私はあまりにも気負いすぎてしまいました。
投げて、そしてコムロック、袖車絞のどちらかで秒殺してやる!
という気負いが、動きを堅くし、無駄に力んでスタミナを消耗してしまいました。
序盤、無理に投げにいってしまい投げたと思ったらコムロックにはまってしまいました。
コムロックが教えたコムロックで一本負けなど出来ません。
それでも、ここまでは大丈夫、ここは危ないというラインは自覚していたので、
落ち着いて捌きました。
中盤、完璧に極まったと思った袖車絞をするりと逃がしてしまいました。
油断、慢心が起こした大きなミスです。
立ち上がって再スタートしたときには大きくスタミナをロスしていました。
それでも意地でマウントポジションまで持っていき、最後は丁寧に腕挫十字固を
極めました。

最近の試合では常に「力まない」ことを心掛けていましたが、
それと真逆のことをしてしまい、自分らしい試合をすることが出来ませんでした。
それでも、最悪の事態にはならず、ホッとしています。
岡本は見違えるほど強くなりました。
それでも何度挑戦を受けても、何度でも跳ね返してやるつもりです。
それが私の意地です。本物のコムロックは私以外あり得ません。

最後に岡本への代理メッセージです。
「小室に挑戦する前に俺を倒すのが先だろ!?(by正和)」

<2回戦・アンデルソン天川戦>
体重差のある対戦でしたが、アンデルソン選手のような体型は比較的得意だったりします。
投げられることもないだろうし、引き込まれても抑え込む自信がありました。
意外にも組んですぐに引き込まれますが、安定させて抑え込みながら
袖車絞からコムロックへと変化し、一本勝ちを収めました。

実はここでもう棄権しようかと思いました。
私は馴れない試合で疲れ切ってしまったのです。
この時、休みながらフッと携帯で教え子の試合動画を見ました。
そこでは都市大付属の教え子が白帯ながら必死で戦っていました。
6人抜きをしたときの動画です。
そこで未熟な指導者(私)が「最後まで絶対に諦めちゃダメだ!」と連呼していました。

ハッとしました。
自分は今、戦う前から諦めようとしている。
生徒にはあれだけ言っておきながら、自分は諦めようとしている。
生徒は見ていなくても、この試合は勝っても負けても、諦めずに最後までやり遂げよう!
そう思って準決勝戦に望みました。
既に疲労感と共に、無駄な力みは無くなっていました。

<準決勝・山本健一郎戦>
以前、東十条にあるイエローマンズというジムで何度となく稽古をつけていただいた方です。
ブラジリアン柔術らしい、しなやかな足捌きで、非常に苦手な選手です。
実際、序盤からバックを奪われそうになる苦しい展開。
どこでポイントを奪われ、どこで奪ったかも分かりませんが、
唯一、ここだ!と思って仕掛けたのが立ち姿勢からの腕挫腕固、腕挫十字固の連携です。
ここを極められなかった時点で、勝敗は審判に預けたような形になりましたが、
運良くポイント2-2,アドバンテージ2-1という僅少差で勝利となりました。

山本さんとは実は2回目の対戦ということで、声を掛けていただきました。
同じ東十条町民だったようで、一気に親近感が湧いてしまいました。
今回で、私の稽古不足を露呈してしまいましたので、また稽古をつけてもらいに
行かなければなりません。

<決勝・マルコス・ソウザ戦>
相手のマルコス選手は非常に力強く、技術力も高い選手でした。
それでも最後まで諦めずに戦い抜くと決めていたので、頑張りました。
周りからの沢山の応援も後押ししてくれました。(応援ありがとうございました)
最後は精根尽き果て、腕挫十字固での一本負け、完敗でした。
自分でも意外だったのは、以前はタックルを捌いてからの攻防が得意だった私ですが、
何度もタックルでやられてしまいました。
柔道のルール変更が・・・なんて言い訳をする気はありませんが、
適応力が下がってしまったのは明らかでした。


今回、軽い気持ちで受けた挑戦ですが、色々な意味で貴重な経験を積むことが出来ました。
やはり日頃の修練は大事ですし、諦めないという気持ちは選手として絶対に必要なスキルです。

今回は試合後の疲れているところ、岡本や林選手に色々とサポートしていただけました。またパラエストラ東京や、トライフォース五反田の皆さんからも多くの声援を送っていただけました。
とても心強く、励みになりました。改めてここで御礼申し上げます。
(ブラジルブログに前編後編が掲載されています)

また今回、ビデオ撮影などでも協力してくれた9369こと草間さんが白帯の部でも出場、
料理人なのに減量5kgという苦行を乗り越え、見事に優勝を果たしました。
息子さんの前で格好いいお父さんを見事に演じて魅せました。おめでとうございます!
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2011年8月21日 (日)

ロシアの袖車絞

先日、高野先輩からメールがありました。
「日本人選手がロシア選手に袖車絞で負けている」と・・・・
早速調べてみましたが、ちょうどYouTubeに動画がアップされていました。

2011世界カデの44kg級決勝の映像ですが、
袖車絞で日本​の選手が絞め落とされてしまいました。
ロシアの選手、関節技が得​意な選手はいても、
絞技が得意な選手はいなかったんですけどね。

この場面、返すのはいったん諦め、すぐに両肘を押し上げるか、
相手の両肘を抱えるようにして、絞められないよう圧力をかけておかないといけません。
彼女は内側に手を入れて防御していますが、あまり効果はないんです。
強力な技なので、すぐ落ちちゃいますからね。

何か良いDVDでも観たんでしょうか?

なんて書いているそばから、ロシアのコーチから冬のジュニア合宿(モスクワ)に
きて欲しいというメールが届いていました。

次の世界選手権(2014年)はモスクワに決まったそうですし、気合い入っているんでしょうね。

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