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2012年2月

2012年2月29日 (水)

2012アジア柔道形選手権大会

2/24(金)、午前の授業を済ませ足早に講道館に向かうと、
着いたのが集合時間の20分前だった。
しかし侮ってはいけない、この集団はせっかちだ。
案の定、10分前には全員が集合し、6分前には結団式が始まった。
つまり5分前では遅いのだ!(昨年の5分前の5分前事件参照)

講道館で出発前の最終調整と演技を済ませ、私はいったん自宅に戻り、髪を切りに行く。
今回は羽田空港から深夜初の便だったのだが、なぜ14時に集合なのかは甚だ疑問であった。
しかし、そんなことを質問してはいけないことは充分承知している。

羽田空港で最後の和食を摂り、空路で約6時間、真冬の東京から灼熱のタイ・バンコクに到着した。
この気温差は凄まじいものがある。
午後から扇風機が1台あるだけの道場で調整練習をするが、
受け身をしただけで頭がクラクラし、大粒の汗が吹き出した。
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試合前2日間の調整を経て、大会当日、やはり集合時間の20分前には備えていた。
(繰り返すが5分前では遅いのだ!)

今回は予選を行わず、1発勝負となった。
固の形は最強のライバル・イランが世界2位の組に加え、
新人の組を加えて2組を投入したほか、ラオスや韓国も新規参入して7組で争われた。
5種目中、固の形から競技が開始され、私たちは4番目に演技をした。
畳は日本とは違い1m ×2mとなっており、若干大きくなっている。これにより、歩幅や立ち位置を調整しなくてはならない。
また、今回は畳の配置が日本のそれとは異なっていた。 わずかな違いではあるが、
そのわずかな差が勝敗に大きく影響することを、我々、形の競技者はよく知っている。

そのせいか、いつも以上に緊張したように思う。
当然、日本を代表しての国際大会だ、緊張しないわけはない。
また緊張感がなくては練習以上の演技をすることはできない。
失敗は許されない、負けたらそれで終わりという緊張感が練習を超える力を発揮し、雰囲気を醸し出す。
緊張感をうまくコントロールしながら、演技を行った。

毎回「これが世界最高の演技だ」と思いながらも、あとから見返すと改善点が多々あるものなのだが、今回も現状では最高の演技ができたと思う。

最初の袈裟固、次の肩固、この時点でいつも勝利を確信する。
違いは音だ。
静寂の中、すり足で畳を擦る音が聞こえ、私が全身に力を込め合図をすると、攻防が始まる。
途端に、身体のどこからか聞こえる音が、畳を介して音を会場に響 かせる。この音が、他の組とは決定的に違う。
(と思っている。これは残念ながら映像では伝えることはできない。是非、実際にその目と耳で確かめて欲しい)

今回も最初の二つの技で、勝利を確信し、実際にその通りになった。
私たちは大会2連覇を達成した。

高野先輩はたった1回の演技でも筋肉痛になるという。
それだけ形(カタチ)ではない、本気の演技、攻防が表現されているのだ。
その緊張感、疲労感は実際に形の競技を体験してみないとわからないものだ。
演技の後のリラックスした姿を、ラオスの選手たちが激写していた。
(ただの居眠りではあるが…)
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今回も日本チームは、5種目全ての形で優勝を果たすことができた。
それと同時に、柔の形でタイが3位に入った他は、イランが表彰台を埋め尽くした。
つまりイランは全ての形で2組を投入し、そのほとんどが日本に準ずる位置をキープしているのだ。
これはアジアだけでなく、昨年の世界選手権でも同様だった。
日本が同じように2番手、3番手を投入したととしても、表彰台を独占できるかは、
彼らの演技を見る限り容易ではないだろう。
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こうして私たちは、無事に連覇を達成することができた。
まずは授業がある中、快く送り出してくれた都市大学付属関係各位、
またいつもご指導賜っている講道館・全柔連の皆様、
そして最高の受けをもって演じてくれた高野先輩に深く感謝したい。

これからは連覇もさることながら「地味でおもしろくない」といわれる
固の形の普及・理解に尽力したい。
そのためにはまず、形の競技会だけでなく、いろいろな場所で演じる機会をいただけたらと思っている。
きっと「地味でおもしろくない」という固定概念は払拭できると信じている。

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2012年2月21日 (火)

一杯の讃岐うどん

いつも生徒と出稽古したり、試合に行った帰りは食事をして帰っています。
1年前までは4人だった部員も、現在では10人を超えるようになり、ある意味嬉しい悲鳴です。
世田谷区民大会の時は、梅ヶ丘駅前の「蓮華」に寄っています
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こんな時、自分が生徒だったときのことをよく思い出します。
高校1.2年生の時、香川県で開催されていた和旗高校柔道大会に出ていました。
入賞するとやたら大きい団扇をもらって、扱いに困る大会です。

この大会には車で向かって参加するのですが、なぜかあまりよい成績は残せませんでした。
ある年も、納得のいく柔道が出来ずチームも惨敗、恩師は激怒しました。
特にポイゲだった田崎はコテンパンにやられ、キャプテンだった私も
猛烈な闘魂を注入されていました。

一通り注入が終わると、恩師は「付いてこい!」と言い足早に会場を出ます。
とにかくせっかちな先生で、歩くのが速く、私たちは小走りで追いかけます。(柔道着のまま)

おそらく体育館裏あたりで、さらなる闘魂が注入される。
私たちは戦々恐々としながら走りました。

しかし一行は会場を離れ、近くのうどん屋に入ります。(柔道着のまま)
「○○うどんを人数分」
徳原先生が言葉少なめに話すと、すぐにうどんが出てきました。

とにかく食べるのも早い先生で、待たせると怒られます、
私たちは口の中が火傷しそうな勢いでうどんを流し込みます。

「旨いか?」

『はい!美味しかったです。ご馳走様でした!』

会場に戻りながら、その日の試合のアドバイスや叱責が私たちに向けられます。
私たちは展開の早さに頭が付いていけず、とりあえず「はい」とか「すいません」とか
言いながら後を追いかけました。

考えてみると、試合に負けて怒ってはいたけど、せっかく香川に来ていたので
讃岐うどんをご馳走してくれたのです。
東京のそれとは別物のうどんが、妙に新鮮でした。

いま思い返すと、恩師との思い出はそんなエピソードが数多くありました。
もんじゃを焼くのにもの凄いこだわりがあるとか、金鷲旗に行くと必ず行くラーメン屋があって、
私たちは偶然を装って恩師と店内で会い、奢ってもらうという。

私の生徒達には想像も出来ないくらい、異次元の怖さを放っていた恩師ですが、
同じくらい愛情も頂いたように思います。沢山ご馳走してもらいました。
私の生徒達も、少しでもそんな思い出を残してもらえればと思っています。

さて、話題は変わりますが今週末、タイのバンコクで開催される
第2回アジア柔道形選手権大会の代表(固の形)に選出されました。

昨年は派遣中に震災があったり、「5分前の5分前事件」とドタバタでした。
今年は何事もなく、万全の演技で優勝できるよう頑張ってきます!

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2012年2月 4日 (土)

レーシック体験記

昨日、有楽町駅前にある品川近視クリニックにてレーシックの手術を受けてきました。
私自身、大きなケガや病気もなく生きてきたので手術は初めての試みです。
(最近、ずっと眼鏡生活をしていたのはこのためです)

治療法は様々ですが、目のことですのでケチケチしていられません。
最高級アマリスZレーシック(32万円→割引券で27万円)をしてきました。
さらに私はコンタクト歴も長く近視も強い(視力0.04!)ことから
「クロスリンキング(15万円)」という角膜を強化する手術も併用しました。
これはもう大変な出費です。。。

とはいえ、少年時代の私にとって視力は大変なコンプレックスでした。
コンタクトや眼鏡がなければ、まともに生活できないほどの近視だったので、
それが解消されるなら、支払えないほどの大金ではありません。

さて手術当日、朝一番で乗り込みましたが、既に院内は人が大勢いました。
再度の検査を済ませ、小グループに分かれていざ手術室へ!
各部屋で検査や点眼、頭に帽子をかぶせたりと、最奥にある手術室に近づくに従って
お膳立てられていきます。それはまるで宮沢賢治の「注文の多い料理店」のようです。

そして手術台に乗り、仰向けになって頭、そしてまぶたを開いたままテープでで固定します。
その後、器具でさらにまぶたを閉じないよう固定し、上から機械が降りてきます。

「はい、緑の点を見て!」

身体中に力が入ります。
さすがに初めての経験です、緊張します。
いや正直、恐怖感がありました。

一瞬、光が横切った気がしました。
角膜がスライスされたのです。
その後、緑の点は見えなくなりました。
しばらくしてぼんやりと見える頃には、片目の手術は終了していました。
同じように片目を手術しました。

私はクロスリンキング手術も依頼していたので、看護師さんに連れられ別室に移動します。
視界はまだぼんやりです。

同じように手術台に載せられ、まぶたを固定します。
次に針金のような器具で、角膜をめくりました。
液体を掛け、レーザーのようなものが照射されます。
液体の色なのでしょうか、視界は一時、真っ黄色になりました。

時間にすると、それぞれの手術は10分もしなかったと思いますが、
緊張していたせいで、長く感じました。

ソファで休憩したあと、今後の点眼についての説明と保護眼鏡を受け取り、解散となりました。

え?

視界はまだぼんやりです。
手術前の裸眼と殆ど変わりません。これでは町を歩けません。
それ以上に、日光がまぶしくて目が開けていられません。

仕方なくタクシーを利用し、ちょっと寄り道をして帰りました。
(不安のある人は、付き添いがあった方が良いかもしれません。いや、お勧めします)

帰宅し、横になっていると、日が落ちてきたのもあるでしょうか、
徐々に視界がクリアになってきました。
裸眼で新聞を読もうとしたら、顔をくっつけて読まなければならないような視力でしたが、
壁掛け時計の小さな日付なども見えるようになっています。
0.7くらいにはなっていたかもしれません。
今現在、視力は1.0程度まで回復していると予想しますが、まだ白濁感が残っています。
何種類かの点眼液も忘れてはいけません。
今夜はもう一度来院し、術後検診が待っています。
さて、経過はどうなることやら。。。

就寝中、寝相が悪くて目を擦ってはいけないらしく、プラスチック製の眼帯をもらいました。
巴が恐れおののいたことと、寝ている間にすぐ外れてしまったことは言うまでもありません。
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