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2007年12月11日 (火)

代表戦(後編)

それでは後編になります。(前編はコチラ)

代表戦として思い出深い試合をいくつか。

■高校3年のインターハイ予選■
都大会の準々決勝戦、僕たちは世田谷学園と対戦しました。
その年の世田谷は、金鷲旗でも優勝しており、
例年通り、優勝候補でした。

戦前、僕は徳原先生のこう聞かれました。
「宏二、本郷との勝負、左の相四つだけど、できるか?」

本郷選手は翌年、インターハイ(重量級)でも優勝しており、
その時のポイントゲッターでもありました。しかも僕と同じ左組です。
苦戦は免れませんでした。

しかし、僕は即答しました。「やれます!」と。
次鋒で出場した僕は、組み手に妥協することなく、
しつこく寝技に引き込み、引き分けに持ち込みました。

そのほかの選手も、妥協することなく接戦を凌ぎきり、
0対0の代表戦までもつれ込みました。

世田谷の代表は本郷選手、足立学園の代表は田崎選手が出ました。

軽量級軍団の足立学園は、爆発的な破壊力がありません。
唯一、全国レベルの中重量級と勝負できるのは、
田崎選手しかいませんでした。
まちがいなく、足立学園の切り札でした。
僕たちはこの大一番、彼に託しました。

結果は判定負け。僕たちは最後まで、
世田谷、国士舘の壁を破ることが出来ませんでした。

今でも、田崎(今は道都大学の監督)と話すと、この話題になります。
彼の柔道人生において、もっとも悔やまれる試合がソレらしいです。

でも、ウチにとっての切り札、世田谷にとっての切り札、
それぞれが出て、結果が負けなら仕方ないと、僕は思います。
「世田谷を倒してインターハイにいける!」
そう思えた、貴重な一瞬でした。

■教員3年目の代表戦■
それからちょうど10年後、僕は足立学園の教員になりました。
高校1年生から教え始め、その子達が3年生になったとき、
良いチームが育ちました。

都大会の準決勝、国士舘との対戦です。
1-1の同点で、この試合も代表戦になりました。

誰を選ぶのか?
徳原先生と考えました。

国士舘は重量級がそろっていましたが、中量級の西田選手を擁しています。
足立学園の子達は、軽量ですが重量級との試合を苦にしません。
逆に技もキレ、動きも速い西田選手のような選手が苦手だったりします。

代表戦は間違いなく、西田選手を予想していました。

対西田選手を想定したとき、足立学園には1つの切り札がありました。
ホームランバッター齋藤です。
彼は5月の団体戦、西田選手に一本勝ちしていました。
しかし、その日の試合でも西田選手と対戦していたのですが、
ここでは組み手を完封されてしまい、逆に負けてしまいました。
もう一度やっても、おそらく適わない。

得点をあげたキャプテンの関矢もいましたが、彼は副将で出ており、
スタミナを消耗していました。

眠れる天才、太田はメンタルが弱いので代表戦にはちょっと。。。。

残ったのは河野雄司でした。
(インターハイ73kg級3位、全日本ジュニア2位、現ジュニア強化選手)
中学時代から、大きな舞台で勝負している彼なら気持ちも強い。
鍛え上げられた身体は西田にも力負けはしない、
破壊力のある肩車なら、もしかしたら一発決まるかもしれない。

しかし、結果的には大内刈から内股への連絡技で、
河野は大きく弧を描き、一本負けを喫しました。

やっと辿り着いたチャンス、なかなか越えられない壁。
選手の悲しみ、徳原先生、僕の悔しさは相当なモノでした。
徳原先生が涙を流す姿を見たのは、久しぶりでした。

足立学園生の諸君
徳原先生を団体戦で全国に連れて行ってやってくれ!

■シロクマ君■
先日、足立学園に小学生を連れて行ってきました。
僕が教えていた中学生達も、中学3年になり、高校生になり、
知らない顔もチラホラいるようになりました。

あの時のシロクマも、もう今春、卒業します。
あの時の経験が、彼にどう影響したのか、
それは今となっては計り知れませんが、
教員となって、初めて経験した思い出深い代表戦でもあります。

 2004.5/23 『勇気と努力のシロクマ君』

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コメント

河野くん世代の足立学園はいい確かにいいチームでしたね。
全国はともかく、関東大会は優勝する力は十分だったと思います。
ちなみに翌年インハイを制した桐蔭学園は、
この頃の足立に1枚ポイントゲッターを加えた理想的なチームでした。

投稿: 寝業研究家 | 2007年12月11日 (火) 20時38分

小室先生へ

こんばんは!鷹丸です。

足立学園は、軽量級が多いので相手がいっぱいいて、
いいですね。

でも、足立学園も軽量級ばかりでも、
いいチームですよね。

関東大会優勝できたかも知れないのに・・・。

鷹丸

投稿: 鷹丸 | 2007年12月11日 (火) 22時06分

河野選手vs西田選手の代表戦は大変印象に残る名勝負でした。
残り1分くらいでしたか,勝負に出た河野選手を西田選手が
大内刈からきれいに変化して投げました(体落ではなかったでしたっけ?)。
結局,その年のインターハイは国士舘が勝ったのですが,いちばん追い込まれたのはあの場面(負ければインターハイに出られない)だったのは間違いありませんでしたね。

投稿: はしはし | 2007年12月12日 (水) 10時11分

>寝業研究家
桐蔭も中量級主体で全国優勝しちゃうんだから、凄いですよね。
関東大会、今年は3位ででしたが、
なかなか優勝に届かないんですよね。

>鷹丸
高校進学は足立学園なんていかが?

>はしはし
見てくれていたんですね!
国士舘は、試合前、ずっと足立学園対策ばかりやっていたそうです。
代表戦の時はもう祈るような気持ちでした。

投稿: 5669 | 2007年12月13日 (木) 13時39分

小室先生へ

高校はまだ考えていますが、
足立学園も候補に入れています。

まだ、先の話ですが、決まったら教えます!

鷹丸

投稿: 鷹丸 | 2007年12月13日 (木) 20時41分

はじめまして
僕は小室さんより一つ上の学年でとある高校の弱小柔道部で柔道をやっていました。地区大会の団体戦で一度小室さんとも当たったことがあるのですが秒殺でした(笑)ちなみに都大会で本郷さんにも秒殺されています…なんだか懐かしくなって書き込みしました。もう全然体を動かしてませんがもう一度鍛え直してみようと思った今日この頃であります。

投稿: ホシーニョ | 2007年12月18日 (火) 16時31分

>ホシーニョ
はじめまして!書き込みありがとうございます。
そうですか、同時期に柔道していたんですね。
きっと葛飾野高校での支部大会でしょうか?
今になって、当時全然話もしなかった他校の同期と、
たまに食事したり、銭湯に行ったりしているんですよ。
懐かしいです。。。
もし都合が良ければ、是非、講道館にもどうぞ!

投稿: 小室宏二 | 2007年12月19日 (水) 10時15分

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