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2007年12月

2007年12月31日 (月)

2007を振り返って

今年もあと僅かとなって参りました。

僕は仕事納めと同時に、足立学園時代の教え子と
スノーボードに行ってきました。
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僕にとっては、彼らと過ごした時間、そして彼ら自身の存在が、
とても大切な財産となっています。
この絆を大切に、この行事は恒例にしたいなと思っています。

さて、今年1年を振り返って、僕自身、どんなニュースがあったのか、
箇条書きにしていきたいと思います。

■アフリカ遠征■
いきなり降って湧いてきた話ですが、タンザニアモザンビーク
各1週間行ってきました。
初めて、選手としてではなく、指導者として行く海外、そして初アフリカ大陸。
初めてばかりでしたが、カルチャーショックをいくつも受け、
そして学ぶことが多々ありました。

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そして自分自身『一度は海外で勝負しなきゃ!』と
強く思いました。
何らかの形で、海外に居を構え、指導する機会を狙っていこうと思っています。

■VWポロSLを購入■
長年連れ添ってきた、mccスマートがくたびれてきました。
特徴のある車で、愛着もあったのですが、
最近は故障とその修理費に悩まされてきました。

もう1年乗って、買い換えをと思っていましたが、
いい加減エンジン関係が悪くなってきたので、
一足早く買い換えてしまいました。ありがとうスマート君!

今はフォルクスワーゲンのポロ(スポーツライン)に乗っています。
本革シート、HDDナビ、ハッキリ言ってかなり背伸びをしてしまいました。
道楽ですな。でもかなり気に入っています。

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■ブログ消滅→動画を導入■
ある日突然、このブログがハッキングされ、消去されてしまいました。
現在、犯人を捜査中。。。。

有志のアドバイスから、いくつかのブログを復元できたことは
感動するくらい嬉しいモノでしたが、
同時に、復元できなかった記事が残念でなりません。

現在、作業停滞中のブック版『コムロック』では、
コラムのページもふんだんに盛り込む予定です。
自分の中での会心作、形にして遺していきたいと思っています。

そしてその反面、ネット界で動画の流行をこのサイトにも反映しました。
最新の映像だけでなく、過去のVHSテープをデジタル化し、公開しました。

今回も、2001年太平洋選手権の初戦をココに公開したいと思います。
危うく、初戦敗退するところでした。。。

■試合は2試合■
公式戦はたったの2試合でした。
全国高段者大会(動画リンク)東京都高段者大会です。
それぞれ絞技で快勝しましたが、勝負が好きな僕には物足りなかったです。
公式戦ではありませんでしたがタンザニア本土、ザンジバルで
挑戦した掛け試合は、スリルがあってとても楽しかったです。
2008年は、高段者大会だけでなく、もう少し挑戦の場を増やしたいと思います。
マスターズとか、国際大会とかですね。応援してください。

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2007年12月20日 (木)

鶴来高校

12月15,16の二日間、石川県白山市にある
県立鶴来高校に指導に行ってきました。

Judobu Rensyu2

鶴来高校には森下君(73kg級)、小寺君(66kg級)という
強化選手が在籍しています。

森下君はインターハイで優勝しており、
インターハイ出場経験のない僕にとっては、
遠い存在のような気さえします。

足立学園のように軽量チームの鶴来高校が、
大型選手とどう戦っていくか、そこで僕が招聘されました。

そういえば先日行われた秋田でのわか杉国体、
応援に行った東京少年チームは、代表戦の末、石川県に惜敗しました。
石川県は準優勝しましたが、非常にまとまりのあるチームだったと記憶しています。

顧問の田井友章先生は、筑波大学の先輩です。
(有名どころでは鳥居智男選手を育てています)

今を遡ること10年前、クリスマスの夜に前橋の高校で合宿があり、
なぜかそれに強制連行された僕は、田井先生と出会いました。
それからの縁です。

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※右画像、左から(丸一先生、5669、射手矢先生、田井先生)

今回、東京学芸大学の射手矢先生も一緒に講習を行いました。
射手矢先生は筑波の先輩であり、田井先生の同級生だそうです。

射手矢先生は、僕も所属する全柔連科学研究部の部長です。
そこで講習前、生徒に世界柔道の動向、特に寝技と戦術に関する
内容を、映像も交えて話していただきました。
僕はそれに沿って、講習をしていきました。

最後に、地元の新聞に取り上げていただいたので、その切り抜きと、
ご馳走していただいたブリしゃぶ(絶品!)の画像です。

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2007年12月18日 (火)

変形の肩車と投げっぱなしの内股

2002年 全日本実業団(3部)準決勝戦
(了徳寺学園vs日本通運)の映像です。

相手は森下さん。
東洋大出身で、軽量級のジュニア強化選手でした。

 

この日は、体重無差別で4試合を消化していました。
準決勝になり、スタミナも無くなってきたところで、
この日初めての軽量級との対戦でした。

序盤は慎重に試合をすすめていきました。
中盤(2:40)、変形の肩車で技ありを奪います。
後半(3:50)、跳腰気味に跳ね上げますが、投げ捨ててしまいノースコア。。。

試合後、森下さんとは長野のネオン街で再会しました(笑)

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2007年12月14日 (金)

袖車絞と肩固の複合技

僕が最も得意とするパターンです。

全日本実業団の団体戦(第3部)で、
松前柔道塾と対戦したときの映像です。

相手は立花繁選手、筑波の先輩でした。

相手が背後を見せた後、徹底してくっつき、立たせません。
そのまま袖車絞を狙いつつ、肩固に決めています。

通常とは、逆回転で相手を回しています。

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2007年12月11日 (火)

代表戦(後編)

それでは後編になります。(前編はコチラ)

代表戦として思い出深い試合をいくつか。

■高校3年のインターハイ予選■
都大会の準々決勝戦、僕たちは世田谷学園と対戦しました。
その年の世田谷は、金鷲旗でも優勝しており、
例年通り、優勝候補でした。

戦前、僕は徳原先生のこう聞かれました。
「宏二、本郷との勝負、左の相四つだけど、できるか?」

本郷選手は翌年、インターハイ(重量級)でも優勝しており、
その時のポイントゲッターでもありました。しかも僕と同じ左組です。
苦戦は免れませんでした。

しかし、僕は即答しました。「やれます!」と。
次鋒で出場した僕は、組み手に妥協することなく、
しつこく寝技に引き込み、引き分けに持ち込みました。

そのほかの選手も、妥協することなく接戦を凌ぎきり、
0対0の代表戦までもつれ込みました。

世田谷の代表は本郷選手、足立学園の代表は田崎選手が出ました。

軽量級軍団の足立学園は、爆発的な破壊力がありません。
唯一、全国レベルの中重量級と勝負できるのは、
田崎選手しかいませんでした。
まちがいなく、足立学園の切り札でした。
僕たちはこの大一番、彼に託しました。

結果は判定負け。僕たちは最後まで、
世田谷、国士舘の壁を破ることが出来ませんでした。

今でも、田崎(今は道都大学の監督)と話すと、この話題になります。
彼の柔道人生において、もっとも悔やまれる試合がソレらしいです。

でも、ウチにとっての切り札、世田谷にとっての切り札、
それぞれが出て、結果が負けなら仕方ないと、僕は思います。
「世田谷を倒してインターハイにいける!」
そう思えた、貴重な一瞬でした。

■教員3年目の代表戦■
それからちょうど10年後、僕は足立学園の教員になりました。
高校1年生から教え始め、その子達が3年生になったとき、
良いチームが育ちました。

都大会の準決勝、国士舘との対戦です。
1-1の同点で、この試合も代表戦になりました。

誰を選ぶのか?
徳原先生と考えました。

国士舘は重量級がそろっていましたが、中量級の西田選手を擁しています。
足立学園の子達は、軽量ですが重量級との試合を苦にしません。
逆に技もキレ、動きも速い西田選手のような選手が苦手だったりします。

代表戦は間違いなく、西田選手を予想していました。

対西田選手を想定したとき、足立学園には1つの切り札がありました。
ホームランバッター齋藤です。
彼は5月の団体戦、西田選手に一本勝ちしていました。
しかし、その日の試合でも西田選手と対戦していたのですが、
ここでは組み手を完封されてしまい、逆に負けてしまいました。
もう一度やっても、おそらく適わない。

得点をあげたキャプテンの関矢もいましたが、彼は副将で出ており、
スタミナを消耗していました。

眠れる天才、太田はメンタルが弱いので代表戦にはちょっと。。。。

残ったのは河野雄司でした。
(インターハイ73kg級3位、全日本ジュニア2位、現ジュニア強化選手)
中学時代から、大きな舞台で勝負している彼なら気持ちも強い。
鍛え上げられた身体は西田にも力負けはしない、
破壊力のある肩車なら、もしかしたら一発決まるかもしれない。

しかし、結果的には大内刈から内股への連絡技で、
河野は大きく弧を描き、一本負けを喫しました。

やっと辿り着いたチャンス、なかなか越えられない壁。
選手の悲しみ、徳原先生、僕の悔しさは相当なモノでした。
徳原先生が涙を流す姿を見たのは、久しぶりでした。

足立学園生の諸君
徳原先生を団体戦で全国に連れて行ってやってくれ!

■シロクマ君■
先日、足立学園に小学生を連れて行ってきました。
僕が教えていた中学生達も、中学3年になり、高校生になり、
知らない顔もチラホラいるようになりました。

あの時のシロクマも、もう今春、卒業します。
あの時の経験が、彼にどう影響したのか、
それは今となっては計り知れませんが、
教員となって、初めて経験した思い出深い代表戦でもあります。

 2004.5/23 『勇気と努力のシロクマ君』

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2007年12月 6日 (木)

1999 正力杯全日本学生

今回は大学4年、正力杯全日本学生体重別選手権大会の映像です。
準決勝戦の映像は、後輩が撮ってくれたもの。(雑音有り)
決勝戦はダイジェストですが、テレビで放送されたモノです。

以前から書いていますが、大学4年になったのを機に、
階級を60kg級から66kg級に変更しました。

減量が相当あり、7kg、8kgは当たり前、
最大で10kgも減量したこともありました。
年々、減量もきつくなり、競技成績も下降していきました。
そして大学3年の講道館杯、1コケした僕は、
中学時代から選出されていた強化選手から外されてしまいました。

ここで階級変更を決意。
しかし、恩師からは「減量から逃げるのか?」と言われ、
現役66kg級強化の後輩からは「通用しない」と言われました。
むしろ、それが発憤材料となり、この大会に向けて全精力を尽くしました。

関東学生では6試合全てを一本勝ちで優勝。
(投技で決めたのが3試合)
全日本学生に挑戦しました。

全く減量もなく、気楽だった僕は、前夜にバッティングセンターへ。
キティちゃんが投げる低速コーナーで、ガンガン打ちまくって試合に臨みました。

当日計量すると、なんと1kgも下回っていました。(つまり65kg)

試合は好調のまま、一本勝ちを量産し、準決勝へ。
1回戦 袖車絞
2回戦 裏投(技あり)から横四方固
3回戦 腕挫膝固(コムロック)

失うモノは何もないという、無欲の姿勢が、
気負いすぎて力んでしまう、僕のダメなところを払拭してくれたと思います。

それでは、準決勝、決勝の映像をご覧下さい。

準決勝は、半分すっぽ抜けるような肩車を2発決めています。
不発に終わりましたが、素早い腕返からの、腕挫腕固にも注目して下さい。

決勝は、しぶとく引っ掛けた巴投です。
中村佳央さんのカミカミの解説にも注目です(笑)

優勝し、インタビューを終えた後は涙が溢れて止まりませんでした。

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2007年12月 2日 (日)

動画機能停止中

■動画閲覧機能停止のお知らせ■
12/2(日)0:00~23:59

現在、動画の閲覧機能が停止しております。

明日には復旧するそうですので、

今しばらくお待ち下さい。

復旧です!

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2007年12月 1日 (土)

代表戦 (前編)

『代表戦』について、今回は語ろうと思います。

一応「代表戦」について説明します。

団体戦での対戦成績が全くの同点の場合、
両チームで代表を1人選出し、個人戦と同じように
必ず優劣を決し、チームの勝敗を決します。

チームの命運を握った大事な勝負ですから、
両チームともにポイゲが登場します。
心身共に、非常に厳しいことは間違いありません。
プレッシャーに弱い選手には向かない場面ですね。

で、その代表戦。
僕はコレまで、出たことがありません(泣)

唯一、代表戦に近い場面に遭遇したことがあります。
高校2年の時、僕たちは春の全国高校選手権に出場しました。

初戦は名張高校(三重)でした。
何度も練習試合をしている名張高校、実は楽勝だと思っていました。
しかし。。。。

その年、その日は波乱の一日でした。
①地下鉄サリン事件発生
②徳原監督、1年間の資格停止処分

サリン事件は言わずもがな、大変な事件でした。
ほぼ同じ時刻、開会式に代役を出席させた足立学園は、それがバレ、
監督が1年間の謹慎を言い渡されました。
監督不在の全国大会。
チームは一応、キャプテンの僕がリーダーシップをとりました。

僕らの予想では、名張高校には3人残しくらいで勝てると思っていました。
しかし、引き分け、引き分けの連続。。。。
結局、勝敗は大将同士の決戦に委ねられました。

そして大将は僕でした。

この時、ネガティブな選手だったらビビってしまうと思います。僕は。。。
「副将も引き分けろ!俺に回せ!大将決戦で俺が決める!」

日本武道館での全国大会、その初戦、チームの勝敗が全て僕にかかってる。
こんな美味しい場面はそう滅多にありません。
やる気満々の僕は、この美味しい場面で一本勝ちし、
思い切り目立とうと思っていました。

結果は引き分け。。。。代表戦へ。。。
力不足でした。。。。
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代表戦は結局、足立学園のポイゲ田崎元久が登場。
優勢勝ちで2回戦へコマを進めました。
(結果的には2回戦、九州学院に1人残しで敗退)

代表戦には出たい。でも実力が足りない。
そんなわけで、代表戦は未経験なんです。

だから逆に、代表戦に選んでもらえるってことは、
勝負を託してもらえる、信用してもらえる。
それだけ光栄なことなんです。→ノブ!お前のことだ!

そして、僕にとっては思い出深い代表戦が2試合あります。
続きは後編で。

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