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2007年5月14日 (月)

闘いを経て

5/12,13と都立:葛飾野高校において、
恒例のインターハイ支部予選が行われました。

今から10数年前、僕もまた足立学園の選手として、
同じ場所で試合をしていました。

奇しくもその晩、僕はその当時の対戦相手と会うことが出来ました。

彼の名は「マツダ」君と言います。
足立学園校長と同じ名字ですが、多分関係はありません。

彼との初対決は1年生のインターハイ支部予選、準決勝。
彼は修徳学園の選手だったので、同じ支部では最も警戒した選手です。
その試合は僕が勝ちましたが、同じ1年生と対戦したことで、
「あと2回のインターハイ予選も、きっと対戦することになるんだろうな」
そう思い、来るべき次戦のために警戒していました。

 *1年生の時、支部大会では先輩に負けて2位、都大会では3位でした。

その翌年、やはり準決勝で再戦しました。

その当時、修徳学園には厄介な親父がいて、
試合では野次が酷くて有名でした。

僕とマツダの試合においても、
「そんなの柔道じゃねーだろ!反則だ」
「寝技ばかり狙いやがって、このオカマ野郎!」

なんて言われていました。

それでも、他の父母や、先生方も、
その親父の風貌に圧倒され、注意することが出来ませんでした。

試合をしている僕やマツダも、やりにくさを感じながら試合をしていました。
しかし、場外で「待て」になったとき、僕はその親父の近くまでいってしまいました。

相変わらず野次っています。

そして・・・

僕はそのまま親父のところに歩いていき、
「うるせぇなコノヤロー!黙って見てろ!」
睨み付けながら怒鳴り返してしまいました。試合中です。。。

そこで大人しくなるような親父ではなく、
危うく乱闘になるところで引き離され、試合は一時中断。
親父は退場になり、試合は再開されました。

試合の方は前回同様、オカマ作戦で抑え込んだように記憶しています。

試合後、修徳学園の監督(通称:パンサー)から謝罪され、
その親父もなぜだか以後は「イイ根性している!」と
応援してくれるようになりました。

マツダとの2戦は「同じ1年生」、「親父の野次に逆ギレ」
というエピソードもあり、なんだか印象に残っています。

しかし、残念ながら3度目の対戦はありませんでした。
マツダは練習中の事故でクビを怪我し、柔道が出来なくなってしまいました。

その話はすぐに聞き及んでいましたが、自分が何を出来るかも分からず、
ただ練習中の怪我に関して、徳原先生が、非常に敏感になったことは
確かでした。

高校生としての試合も全て消化した頃、
当時、彼女の弟が修徳学園だったこともあり、
マツダのお見舞いに行くことになりました。

そこではマツダが、すでに車椅子ながら教習所に通い
運転免許取得を目指している最中でした。
車椅子でも車が運転できる、僕には想像も出来ないことでした。

数時間の及んだ面会中、なぜインターハイに出れなかったのか、
(僕はインターハイに1度も出れませんでした)
出場した福島の国体はどうだったのか、
筑波に進学することになったとか、
そんな柔道話を延々としていました。

あのとき、お腹が空いて注文した
ピザーラの『テリヤキチキン』が、今まで食べたピザの中で
一番旨かったと記憶しています。

そんなマツダが、10年を超えた歳月を経て、
奥さんの誕生祝いをウチ(宝寿司)でやってくれることになり、
再会することが出来ました。マイカーを運転して千葉から来てくれたのです。
今は車椅子バスケの選手として、日本一を目指しているそうです。

昨夜も、色々な話をしました。

同級生だけれども、チームメイトではない。
足立学園の同窓会とは違ったアングルで、
昔話が後から後から、湧いて出てきました。

お互いをリスペクトして、切磋琢磨し、
目標達成への大きなライバルとして
同じ時間を共有していた。
こういうのを『戦友』と言うんでしょうね。

昨夜は貴重の時間を過ごすことが出来、
少しお疲れ気味な僕でしたが、「また頑張ろう!」
と元気になれる出来事でした。

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