« 2007年1月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年5月

2007年5月14日 (月)

闘いを経て

5/12,13と都立:葛飾野高校において、
恒例のインターハイ支部予選が行われました。

今から10数年前、僕もまた足立学園の選手として、
同じ場所で試合をしていました。

奇しくもその晩、僕はその当時の対戦相手と会うことが出来ました。

彼の名は「マツダ」君と言います。
足立学園校長と同じ名字ですが、多分関係はありません。

彼との初対決は1年生のインターハイ支部予選、準決勝。
彼は修徳学園の選手だったので、同じ支部では最も警戒した選手です。
その試合は僕が勝ちましたが、同じ1年生と対戦したことで、
「あと2回のインターハイ予選も、きっと対戦することになるんだろうな」
そう思い、来るべき次戦のために警戒していました。

 *1年生の時、支部大会では先輩に負けて2位、都大会では3位でした。

その翌年、やはり準決勝で再戦しました。

その当時、修徳学園には厄介な親父がいて、
試合では野次が酷くて有名でした。

僕とマツダの試合においても、
「そんなの柔道じゃねーだろ!反則だ」
「寝技ばかり狙いやがって、このオカマ野郎!」

なんて言われていました。

それでも、他の父母や、先生方も、
その親父の風貌に圧倒され、注意することが出来ませんでした。

試合をしている僕やマツダも、やりにくさを感じながら試合をしていました。
しかし、場外で「待て」になったとき、僕はその親父の近くまでいってしまいました。

相変わらず野次っています。

そして・・・

僕はそのまま親父のところに歩いていき、
「うるせぇなコノヤロー!黙って見てろ!」
睨み付けながら怒鳴り返してしまいました。試合中です。。。

そこで大人しくなるような親父ではなく、
危うく乱闘になるところで引き離され、試合は一時中断。
親父は退場になり、試合は再開されました。

試合の方は前回同様、オカマ作戦で抑え込んだように記憶しています。

試合後、修徳学園の監督(通称:パンサー)から謝罪され、
その親父もなぜだか以後は「イイ根性している!」と
応援してくれるようになりました。

マツダとの2戦は「同じ1年生」、「親父の野次に逆ギレ」
というエピソードもあり、なんだか印象に残っています。

しかし、残念ながら3度目の対戦はありませんでした。
マツダは練習中の事故でクビを怪我し、柔道が出来なくなってしまいました。

その話はすぐに聞き及んでいましたが、自分が何を出来るかも分からず、
ただ練習中の怪我に関して、徳原先生が、非常に敏感になったことは
確かでした。

高校生としての試合も全て消化した頃、
当時、彼女の弟が修徳学園だったこともあり、
マツダのお見舞いに行くことになりました。

そこではマツダが、すでに車椅子ながら教習所に通い
運転免許取得を目指している最中でした。
車椅子でも車が運転できる、僕には想像も出来ないことでした。

数時間の及んだ面会中、なぜインターハイに出れなかったのか、
(僕はインターハイに1度も出れませんでした)
出場した福島の国体はどうだったのか、
筑波に進学することになったとか、
そんな柔道話を延々としていました。

あのとき、お腹が空いて注文した
ピザーラの『テリヤキチキン』が、今まで食べたピザの中で
一番旨かったと記憶しています。

そんなマツダが、10年を超えた歳月を経て、
奥さんの誕生祝いをウチ(宝寿司)でやってくれることになり、
再会することが出来ました。マイカーを運転して千葉から来てくれたのです。
今は車椅子バスケの選手として、日本一を目指しているそうです。

昨夜も、色々な話をしました。

同級生だけれども、チームメイトではない。
足立学園の同窓会とは違ったアングルで、
昔話が後から後から、湧いて出てきました。

お互いをリスペクトして、切磋琢磨し、
目標達成への大きなライバルとして
同じ時間を共有していた。
こういうのを『戦友』と言うんでしょうね。

昨夜は貴重の時間を過ごすことが出来、
少しお疲れ気味な僕でしたが、「また頑張ろう!」
と元気になれる出来事でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月11日 (金)

損して得取れ

「損して得取れ」

以前、母親がそう言っていました。
ウチの店(宝寿司)はそういう経営方針なんだそうです。

ガメつく、目先の利益は追求しない。
長く愛される、通い続けてもらえる店になることで、
繁盛していく。
そういう店を目指していると言っていました。

事実、宝寿司には一見のお客さんよりも、
いつもいるな~って感じの常連さんが多いです。
(入りづらい店というわけではありません)

僕も、子供の頃からそんな両親を見て育ってきたので、
物事を損得で判断する人が好きではありません。

僕が寿司職人を目指さなかった1つの理由として、
僕は職人には向いているだろうけど、
利益を追求する商売人には向いてないな~と思ったからです。
それは親父も全く同じかなと思います。

親父も職人だけど、商売人ではないな、と思います。
それが良いところではあるんですけどね。

親父が死んで、店を閉店したとき、
僕はどこかに寿司を食べに行くんだろうか?
そう思うことがあります。
多分、どこにも行かないんじゃないかな?

親父と道は違えど、僕も今、職人のような仕事をしています。
やっぱり儲からないんだけども(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 7日 (月)

寂しい・・・

寂しい。。。

と言ったのは僕ではありません。
両親です。

僕は元々、孤独が好きな方で、団体行動が好きじゃやりません。
筑波大に進学するときも、一人暮らしをすることにワクワクしていましたし、
今もその快適な一人暮らしが止められません。
実家のすぐ近くに住んでいるんですけどね。

食事も、買い物も、映画でも、何をするにも、一人でも構いません。
寂しいと思わないんですよね。さすがに一人で焼き肉屋には行けませんが。。。

兄が今年度から横浜市の教員になり、一人暮らしをはじめました。
それにより、長く暮らしていた実家を出ることになりました。

同居していた頃は、頻繁に喧嘩をしていた彼らも、
一旦外に出ると、お互いで寂しがっているようです。
そのしわ寄せが僕の方に来ていて、
両親からもよく「メシ食いに帰ってこい!」と呼び出されます。
そう毎日、寿司は食えません。。。

それで先日、母に
「宏二はずっと家を出たっきりだけど、一人暮らしは寂しくないの?」
と聞かれました。

僕は『全然思わないよ!』と応えました。

母はなぜか、ふふん、と鼻で笑っていました。

なぜかといえば。。。

ウチの寿司屋は共働きでしたから、
遅い時間まで両親は家に帰りません。
家と店は近かったのですが、幼少の頃はそうそう行き来しませんでした。

 ※だから定休の火曜日は、両親が居るので楽しみでした。
  一緒に寝るのが楽しみだったんですよね。

両親の帰りが遅くなると、兄が僕の手を引き、
泣きながら店に歩いてきたそうです。
たまに泣き疲れて、行き止まったりして、
近所の人が電話してくれたそうです。

そういえば、兄と部屋の中で遊ぶことは凄く多くて、
色んなことをしながら、両親の帰りを待ち、
疲れてしまい、そのまま寝ていることがありました。
母親が布団を敷きに来るまで、寝ようとしませんでした。

朝起きて、買い物や、洗濯などで母親が居ないと、
それだけで泣きながら探し回った記憶もあります。
「どこ行ってたんだ!僕を置いて行くつもりだったろ!」
と、子供ながらに嫉妬のような怒り方をした覚えもあります。

母が言いたいのは、過去にはそんなことがあったんだということで、
「寂しく思わないんじゃなくて、寂しいことに慣れただけ」
とのこと。

まぁそんな家庭環境でした。
お陰で、掃除や洗濯は男の中ではかなりテキパキとやるようにはなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 4日 (金)

全国少年前夜

明日は全国少年大会です。
大会前日は、恒例の少年錬成(練習)会が行われます。
講道館少年部の【春日柔道クラブ】
東京代表として出場するため、この錬成会に参加しました。

僕はと言いますと、職員として、やはり仕事です。
錬成会には強化選手やコーチなど、有名選手を招き、
講話や実技指導、乱取りを行い、僕らはそのサポートを行います。

そう、サポートなんです。

スネオ先生が受けた、ある日の電話。。。

「え?!来られない!代役は?!いない!
 あー分かった。じゃあ小室がいるからなんとかするよ」

は~い、来ました。
実技指導の代役ですね。かしこまりました。
まぁ、昨年同様、そんなもんです。
(だからプログラムには、実技指導者として名前は載っていません)

そんな訳で、阿武教子先生の貴重な講話の後、
実技指導に入らせていただきました。

何を教えたのかと言えば、コムロック?袖車絞?
いやいや小学生ですから。禁止ですから。

エビを500回やらせたいところでしたが、ヒンシュクをかうので、
お馴染み【世界1周】を指導しました。
寝技の基本は抑込技ですからね。

大道場を阿武教子先生、山本洋祐先生、岡田保彦先生、そして小室と
4つのパートに分け、それぞれの指導に入りました。

7

すると。。。

なぜか講道館の子供達がゾロゾロ。
「おい!いつも教えているんだから来なくてイイよ。世界チャンピオンのとこイケって!」
『いいよ。先生のとこ行ってあげるから^o^』

なんだそれは同情なのか?
いつも教えているときは、適当に聞いているのに。

まぁ受け手がいつものアロンちゃんだったので、
世界1周も手際よく説明できましたけど、
なぜ講道館の子供達が、僕のところに来たのかは謎でした。

そして日体大の学生も加えての乱取り。

最初に猛ダッシュで掛かってきたのが、講道館のタクマ。
「なんで先生のトコ来るんだって。先生で良いの?」
『うん。いいの!』

いつだって乱取り出来るのに、
なんなら明日だって明後日だってできるのに、なぜ?
その後も続々と子供達と乱取りしましたが、
講道館の子達も凄い勢いで掛かってきました。

なぜだ?

講道館少年部にあって、小室先生なんぞ
ひと山幾らのミカンの如し。単品では売れません。

出張したスネオ先生の代役で指導しようモンなら
「スネオ先生はいないの?スネオ先生は?!」って・・・
小室先生じゃ不満ですか!?

てな存在ですよ。
それなのに、今日はなんでだ?

それはもしかして、今日はこんな飛び道具を着て行ったからかな?
   ↓ ↓ ↓ ↓

1

まぁともかく、明日は日本一目指して頑張れ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年7月 »