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2006年1月

2006年1月17日 (火)

女子との練習(前編)でも後編は未定

今回は男子校の足立学園では珍しく、女子柔道家との練習について。
足立学園では当然のごとく、男子校なので女子部員はいません。
足立三中でも同様でした。
出稽古先などで練習することもありましたが、今回はそんなエピソードをいくつか紹介します。

中学3年の頃、日体大への出稽古に連れて行ってもらいました。
一応、中学の強化選手ではありましたが男子部員には全く歯が立ちません。
そこで当時の日体大監督が女子と練習するように勧めてくれました。
でも僕は納得できませんでした。
「なんで女子なんかと」そんな気分でした。

どういういきさつか忘れましたが、突然、試合をすることになりました。
小室(足立三中3年、55kg級)VS日体大女子レギュラー4人
の勝ち抜き戦です。

その頃はまだ寝技の極めも不十分でしたし、関節技も知りませんでした。
かといって投げ技がキレていたわけでもなく・・・
しぶとく巴投と小内巻込を仕掛けるのみでした。

一人倒し、二人倒し、三人・・・
最後は山田さんという方でした。今でも忘れていません。
確かあとで調べたら、学生体重別で3位になられていました。
当然、そこまで覚えている理由は負けたからです。。。
最後の四人目で負け、確か号泣してました(笑)

そんな山田さんの旦那様、原田先生と、
今年教員大会で一緒になり、その話題で盛り上がりました。

またその時、二人目ぐらいにやっつけた先輩とは、以後も面倒を見てもらい、
減量方法や、進路の相談、筑波を受験するときは論文の書き方も教えてもらいました。
特に減量方法は、脱水減量法からカロリーを計算する方法を教えてもらい、
初めて試みたのが高校2年の全日本ジュニアの時なんですが、
いきなり2位になり(ジュニア強化に昇格)、ビックリしました。

高校生になり、筑波に出稽古に行くようになりました。
軽量級の僕は、女子には手頃らしく、10本練習したとしたら、
5から8本は女子との乱取りでした。
もう1本乱取りをしたら、すでに後ろで次の選手が待機している状態で、
礼をしたら、僕が男子の選手を探す前に背中を掴まれつつ「お願いします」
と言われるような有様でした。

では練習にならなかったかというとそうでもなく、
田辺陽子さんには横三角絞で絞め落とされそうになり「参った」したところ、
学校に帰ってから徳原先生に☆△□○◇にされました。

またあるとき、寝技の乱取りを30分で一本勝負し、決着が付いたら交代という時がありました。
僕は、早々に大石愛子先輩に捕まり、この時は絶対に負けられないと必死で闘いました。
大石先輩も髪の毛を振り乱し、物凄い勢いで攻めてきましたが、
僕も必死で抵抗し、なんと30分間戦い抜き、引き分けに終わりました。
でも結局、学校に帰ってから徳原先生に☆△□○◇にされました。

(続く。後編もあるんですが、希望があれば書きます。結構長くなりそうなんで・・・)

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2006年1月16日 (月)

惜別の刻

もうじき、卒業シーズン

僕の釣手を片手で切ったスーパールーキーは強化選手に

変わり者の田舎モノは、スーパーミラクルマンに変身

僕のへっぽこ背負投で投げられていた弱僧は、
キャプテンとなりチームの危機を何度も救いました

眠れる天才は僕と同じ道を辿り、その先で才能を開花するのだろうか

地元道場で僕を「宏二くん」と呼んでいたちびっ子は軽く僕の背を越しました

個性は揃いの今年の3年生、実は足立学園史上、最強だったのでは?
全てが進学する彼らが、その先でどう成長していくのか、楽しみでなりません。
例年、何か贈る言葉を考えますが、もうその必要はありません。

なぜなら彼らは、僕が初めて3年間面倒を見た学年であり、
その中で伝えることは全て伝えきったつもりだからです。

そしてもう一人の卒業生・・・・

僕は今年で足立学園を退職します

Dscf0880

大学院を卒業する際、何気なくどこかで非常勤講師が出来ないモノかと探していたところ、
幸運にも足立学園に呼び戻してもらいました。

翌年から常勤講師となり、本格的に母校で勤務することが出来るようになりました。
もとから教職志望の僕にとって、母校での教員生活は、願ってもない環境でした。

しかし常勤講師では先が見えません。
*常勤講師はいわゆる契約社員です。毎年、年度更新です。

そんなこともあり、幸いにも色々とお誘いを頂いていましたが、縁がありませんでした。

このまま足立学園で残ってやれるのだろうか?
僕が辞めたら、生徒はどう思うだろうか?
その葛藤が毎年、僕の頭の中をぐるぐると回っていました。

しかし僕ももう28歳になりました。
そろそろ、将来的な計画も立てなければなりません。
ある年度末、突然に契約終了されても困ります。
まして僕には、返さなきゃならない奨学金も沢山ありますし、
両親も歳をとってきました。
とりあえず、先の見えない常勤講師生活を打破しなきゃならないと思いました。

僕が最優先にしなきゃならないことは
親に楽をさせてあげる
と言うことです。
これはもはや、希望や理想ではなく、僕の使命だと考えています。

それにはそろそろ決断を下さなければならない、タイムリミットが迫ってきました。
そこで今回、僕は退職を決意しました。

決意したあとも、何度も気持ちが揺らぎました。
一番の心残りはやはり、柔道部員達がどう思うかです。

別にあんまり意味なくない?
うざくない?
小室先生に教わりたくて足立学園に来たのに・・・
俺たち見捨てられたの?
試合の時、居てくれないと不安だよ・・・

そんな予想が目まぐるしく、頭を横切りました。
まだガキンチョばかりの集団です。
今回の決断は、あまり理解できないかもしれません。

叶うのであれば、僕が足立学園の次期監督になり、
僕のやり方で生徒達を伸ばしてあげたいと思っていました。
それは揺るぎない、僕の第一希望です。

例え辞めたとしても、僕は北千住に住んでいますし、
今よりは遥かに自由な時間が増えます。

何か教えて欲しいなら飛んでいきましょう
応援が必要なら駆けつけましょう

生徒が望むなら、僕は必要に応じます。
逆に不要であれば、このまま静かに消えるつもりです。

4月からは講道館に勤務することになりました。
後楽園ゆうえんちの隣にある総本山のアレです。
あそこで道場指導部に所属し、主に少年の指導に就くことになると思います。

今まで、柔道の枠から出た行動ばかりしてきた自分ですが、
今度はその枠の中心部に飛び込む形になるわけです。

残りの期間、精一杯、務めを全うしたいと思います。

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