« 2004年6月 | トップページ | 2004年8月 »

2004年7月

2004年7月29日 (木)

27歳になりました

私事ではありますが、今日は私めの27回目の誕生日でした。

もう27歳です。柔道選手としては、強化サイドから殆どの選手がリストラされる年齢です。
講道館杯で負けたら、再び這い上がるのはかなり困難です。
多くの選手はこの年頃に、方向転換をするんですよね。

この時期を過ぎて、今なお頑張っている鳥居先輩は凄いな〜と思いますし、
30歳を過ぎて、教員をやりながら世界チャンピオンになった寝業師・柏崎先生は僕の目標でもあります。

本題に戻って・・・
27歳ともなると、いつもと変わらない一日が過ぎていきます。
小学生の頃のような、自分が主役である特別な一日、というわけにはいきません。

第一、可愛い女の子が「今日、私の誕生日�・」とか言っていたら、
なんか祝ってあげなきゃなと思いますが、こんな体育教師が
「今日誕生日なんです!!」なんて言ったって、僕ならウザッてぇな!と思いますし、
何より「おめでとう!じゃあ飲みに連れてってやる!」なんて言われたら、
嬉しいような辛い気分なので大人しくしていました。

ただ7/20以降、僕が担当しているクラスのホームルームに出ているので、
「明日は先生の誕生日だ。手ぶらで学校来るんじゃねーぞぉ!!」
と脅かしていたら、『先生、実際明日は何を買ってきたらいいんですか?』と
真顔で聞かれてしまったので、慌てて冗談だよと諭しました。

最近は少し時間に余裕が出来たので、練習以外の時間はもっぱら学会発表の準備をしています。
今日は朝トレをした後、ずっと研究をしていたので練習に出ていませんでした。

練習も終盤に差し掛かった時間に、ポイゲが僕のいる職員室まで来てこう言いました。
「先輩、今日は練習しないんですか?」
「うん、今日は研究の方がやりたいんだ。どうかした?」(小室)
「今日は暑くて練習きついし、楽しくないんで、先輩来て欲しいです」

こう言われちゃ黙ってられないです。
彼らが僕を必要としているんですから、行かなきゃいけません。
辛い練習の時は、嫌な顔をせず、バカになって声を出して景気づけるしかありません。

【余談】
そういえばこういう時、狂ったように声を出して盛り上げていた同級生が、筑波の同期、第一号で結婚しました。とても素敵な結婚式だったので、その時のコラムはまた後ほど。

早速着替え、寝技の乱取で一本勝負だったので、高校生を片っ端から狩ってやりました。
練習を終え、着替えてまた研究に戻ろうかなとしていると、
新キャプテン・関矢が「集合!」と声を掛けました。

「?・・・・?」

「せ〜の、ハッピバースデー・・・・」
急な出来事でキョトンとしてしまいました。
練習で汗を流したら、自分のことなんかすっかり忘れていました。

生徒達はお小遣いを出し合い、僕にケーキとプレゼントを買ってきてくれました。
も〜リアクションに困るくらい嬉しかったです。

足立学園では毎年、徳原先生の誕生日にプレゼントをする習慣があります。
徳原先生はこだわりの人なので、上手くヒットしたモノを贈らないと、
普通に「いらねぇ」と言われてしまいます。

僕らの頃は、徳原先生の好みをほぼ把握していたので、
僕が「ヤン吉の好みは俺に任せろ!」と言って、ジャージをプレゼントしました。
もちろん、裾がすぼまっていて、上着をズボンにしまえるような、細身のジャージです。
僕が選んだジャージは2ベースヒットぐらいのあたりでした。
今年は生徒と共に、丸井でジャージを買ったのですが、
最初の反応はイマイチでした。

でも少し日が経ってから「先生、それ若い選手の間で凄く流行っているヤツですよね!格好いいなぁ!」と言ったら「お?そうか?そうか!」と言って頻繁に着るようになりました。(笑)作戦勝ちです!

話は戻って、徳原先生のそのイベントは絶対忘れちゃ行けないイベントなんですが、
僕はそこまでの身分じゃないと思っていました。なので嬉しかったです。

その後、すぐに職員室に戻り、感慨深く浸っていました。
そう頻繁に生徒の前でピーピー泣いていられませんからね!

それでも今日は、教師をやっていて本当によかったと思えました。
「母校で教師が出来るというのは最高の出世であり幸せだよ」
とある先輩に言われました。本当にそう思います。

今までの26回の誕生日には悪いけど、今日の誕生日は最高の一日でした。
みんなありがとネ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年7月24日 (土)

金鷲旗

金鷲旗に行ってきました。

今回は中学生の都大会と被ってしまったため、
高校生の金鷲旗は僕が引率することになりました。

また今回は、3年生で一人、都大会に出ることが出来なかった
山田誠(通称・まこっちゃん)への配慮から、
3年生チームで編成することにしました。

kinnsyuuki.JPG

全員が3年生、そして引率は僕ということもあり、
プログラムを見た方は印象深かったかと思いますが、
全員が満面の笑みでした。
(実際には写真を撮ったときに2年生のタツミが豪快な屁をこいたからなんですけどね)

では早速試合について・・・
試合は五人抜きを狙った先鋒・まこっちゃんから始まりました。
「五人抜くから、みんなはアップしなくていいぞ!着替えなくてもイイ!」

そう粋がるまこっちゃん。
柔道部物語の西野真治じゃないんだからね・・・
それに整列するんだから、とりあえず着替えなきゃ(笑)

先鋒戦、盤石の引き分け・・・・・・・・・・・

次鋒戦、池田!
試合中、徳原先生からの電話
徳原「試合どうなってる?」
小室「いまやっているところです。あ、投げられた・・・」

中堅、金内!
なぜかよく判らないけど、相手の注意で優勢勝ち。中堅同士に戻す。
そして引き分け。

副将同士は、国体に先鋒での出場を決めたキャプテン石川!
やはり無差別の試合ではなかなか攻めきることが出来ず、
また審判の「待て」が早いのなんの。
まだ動いているのに「待て」をかけるから困ります。

結局、指導を取りましたが国内規定のために引き分け。

そして大将はベビーフェイスモンキー東健太!
お父さんも応援に来ています!そっくりです。

とりあえず豪快に吹っ飛んで一本負け。
3日目まで予定していた金鷲旗は、早々に初日で終わりを告げ、
そして観光旅行に早変わりしました。

2年半、頑張ってきた子達ですからね、
たまには柔道で楽しい思いをさせてあげたいです。

僕達の頃は練習試合大会に早変わりし、
負けた学校同士で延々と練習試合が繰り返されたもんです。

二日目、三日目は完全に観光に徹しました。
とくに試合が終わったあとは、海まで行き、花火をしました。

花火とはいえ、花火合戦です。
ロケット花火や、打ち上げ花火をもって相手に打ち込むのです。
(良い子は危険なので真似しないでください)

僕は東に狙われ、追っかけられたりしましたが無傷、
逆にまこっちゃんに一発命中させました!

汗だくになり、花火も尽きてくると、
暑くてみんなダラダラしてきました。

gattu.JPG

写真を見ると、みんなパンツ一丁で汗だくの様に見えますが、
実は違うんです。

池田が突然「海に飛び込もう!」と言い出しました。アホかと思いました。

飛び込むような海じゃないです。
船が停留している港で、変なモノも浮いていますし、
死んだ魚とかも浮いています。

ゲームとかをして負けたら飛び込もうとか色々言っていたんですが、
デビル東が僕に忍び寄り「先輩、池田調子コイてるんで叩き落としましょう!」
と言うのです。

僕は教師です。生徒を汚れた海に落とすことは出来ません。僕は東に言いました。

「バカやろう!任せとけ!」

僕は堤防まで歩み寄り、落ちた人用の梯子があることを見付けました。
「へーこんなトコに梯子がある!みんな見てみな!」

案の定、池田がのぞき込んできました。
こんなチャンス、修羅場をくぐり抜けてきた小室先生が見逃すわけがありません。
イヤ、この時僕は先生ではありませんでした。
(なんかあったら絶対クビだわ・・・)

ドンッッ!!

寺尾も真っ青の突っ張りを池田にたたき込みました。
66kg級だけどスラッとした池田の身体は、
軽く空中に飛びました。

そしてキャップ石川が自ら飛び込み、池田の逆襲で東が落とされ、
嫌がるまこっちゃんを、諭しながら金内が共に飛び込んでいきました。

小室「みんなバカだね。じゃあ帰ろうか(笑)」

『先輩!先輩が飛び込まなきゃ締まらないッスよ!』

この子達は何を言っているのか分かりませんでした。絶対にバカです。
仮にも私は教師です。そしてもうじき27歳にもなるのです。
阪神ファンでもなきゃ、サッカーのフーリガンでもありません。
そんなノリだけで、汚れた海に、生徒を引率している身で飛び込めるわけがありません。

でもそれ以上に、僕は『Noと言えない日本人』なんです。

「では今後の目標を言ってから、豪快に飛び込みましょう!先鋒・小室先生!」

それぞれが何を目標に言ったかは秘密です。
悪いことをしたことも承知です。
(すんません。見逃してください)

でも彼らの胸に、この遠征の思い出が刻み込まれたことは確かではないでしょうか。
来年は、あのデッカイ掲示板に『足立学園』の名を刻むぞ!

【追伸】
帰りの飛行機で面白いモノを発見し、激写しました。
日の出ではありませんよ。絶対上下間違っていますよね?
hage.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年7月 4日 (日)

いつも2位だ

先日、国体の都大会(東京代表選考会)がありました。
足立学園からは先鋒(60kg以下)に2名、次鋒(73kg以下)、
中堅(90kg以下)、副将(100kg以下)にそれぞれ1名ずつ、
5名が出場しました。

軽量級が強くて有名な足立学園。
60kg以下級では、足立学園同士の決勝となりました。

IH予選では66kg級で出場し、2位となったキャプテンの石川と、
IH予選では60kg級だった2年生の塚崎との対戦でした。

石川は66kg級なのでかなりの減量をしての出場でした。
3年生で最後だということもあり、またこの大会は前日計量ということで、
60kg級に強行出場しました。

僕の経験上、無理な減量はさせたくなかったのですが、
彼の意志は強く、出場を許可しました。
それでも、もともと細身の石川の身体は、やせ細った鶏のようでした。
彼は僕と同じく、寝業師です。

塚崎は僕の地元の後輩です。
僕同様、獅子座のA型で性格も似ています。
(誕生日も二日違いだとか!)
地元だからというわけではありませんが、
以前から、僕と同じような雰囲気を感じています
彼も地味ですが、真面目でコツコツと練習してきました。

そんな彼らの決勝戦「遠慮しないで思いっ切り勝負してきな!」と
言ったきり、何も言わないで見ていました。
いえ、正確に言うと殆ど見られませんでした。

わずか26歳で耄碌(もうろく)してしまったのか、
感極まってウルウルしてしまって見ていられなかったんです。

「無理すんな!」

徳原先生のその言葉でハッと試合場を見ると、
石川の十字固が決まっていました。石川優勝!
3年生の最後でよく結果を出しました。

塚崎はちょっと無理をしたのか、肘を痛めたようでした。
試合後、すぐに氷嚢を肘に巻き付けてあげると
『いつも2位だ!』と言って泣いていました。

『いつも2位だ』

その言葉、僕もちょうど10年前、僕も吐き捨てるように言った覚えがあります。

IH予選決勝、国体予選決勝で堤時貞(国士舘高)さんに判定で敗れ2位。
東京ジュニアの決勝も国士舘大の町田さんに判定で負けて2位。全て2位でした。
もっと言えば、全日本ジュニアも決勝で同じく町田さんに1−2で判定負け、
またしても2位でした。

その一言で、また高校時代の自分がプレイバックしてしまい、
その悔しさ、切なさを強烈に共感しまいました。
僕も涙が止まりませんでした。

いつもあんなに一生懸命練習して、頑張って決勝まで勝ち上がって、
あと一歩のところなのに、そこで勝てないという切なさ。本当に悔しいです。

でも勘違いしないで欲しい。
いつも2位なのは、運が悪いのではなく、審判が悪いのでもない。
努力がまだ2番手だということ。努力する余地が残されているということ。

僕の高校時代を思い出すと、「万年2位、3位」だったことが、
僕の心に火をつけたのかもしれません。

3年間で一度もインターハイに行けなかった時、
本気で柔道を続けることを悩みました。

「こんな辛い思いして、一度もイイ思いなんか出来なかった」
そう思うと、進学して続ける意欲が湧きませんでした。

そこから一転、もう一度柔道を続けようと思ったのは
『一度でいいから日本一になってみたい!』
という思いでした。

日本一になったらどんな気分なんだろう?
きっと死ぬほど嬉しいんだろうな。
日本一になったら、もう柔道辞めてもイイかな。
当時はそんな風に思っていました。

だから諦めないで欲しい。
『頑張って続けていれば、きっとイイことがあるよ』
大学時代、南條先輩(現在、仙台大学の先生)にそう言われたことを、
いまでも信じています。

<余談>
最近ふと考えました。
この子達にもの凄く共感を覚えるのは、
本当は教師としては良くないのかもしれない。
(公平性という意味で)

それでもここまで感情移入できるのは、
彼らが単に生徒であるだけでなく、後輩であり、練習仲間であるからだ。
そして練習場所、内容、試合、殆どのことで、僕が同じ環境の中で経験していることだからだ。
だから今回のように、昔の感情が甦り、共感できるんだ。

なるほど、今の自分は思い出の中を、行ったり来たりしているのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年6月 | トップページ | 2004年8月 »